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報道年月日 |
2013/02/11 |
報道機関名 |
読売新聞 |
会員名 |
株式会社東ソー |
タイトル |
若手を積極的に海外へ |
報道記録の内容 |
七転八起き
若手を積極的に海外へ
<イラン赴任が棚上げされ、社内失業状態になった>
大学院に進むかどうか悩み、就職すると決めたのは4年生の7月でした。企業の採用活動はほぼ終了し、教授に泣きついて紹介されたのが、現在の東ソーでした。
会社は当時、社運をかけたイランでの化学プラント建設事業に着手したばかりで、現地で働く意欲があって体も丈夫な社員を求めていました。面接で当時の社長に「製造の現場に出たい」と訴えたら、すんなり採用されました。理系は研究志望が多いので、風変わりなやつだと思われたのかもしれません。
最初に赴任した主力の南陽工場(山口県)では、イランで建設する化学ブラントの基礎設計や運営に携わるイラン人スタッフの教育係を務めました。29才の時にはプラントの建設状況を確認するため、イランに5ヶ月間、長期出張しました。その後、イランに赴任して、2,3年滞在することも決まっていました。
しかし、長期出張中に、イラン革命の発端となる大きなテロ事件が近隣で起きたのです。さらに、第2次石油危機も起きてイラン国内は大混乱。治安の悪化に加え、石油価格高騰で採算性の悪化が予想されたため、プラント建設は中断してしまいました。もちろん、私のイラン赴任も棚上げです。
それまで、イラン事業にほぼ専念していたので、南陽工場に戻っても仕事はありません。事業再開の可能性があったため、他部署への異動もできず、1年ほどは社内失業のような日々が続きました。
工場で草むしり
時間がたっぷりあるので、じっくり基礎的な勉強をしようと思い、関心のあった塩化ビニールのプラント技術を研究しました。週の半分くらいは、工場敷地内の草むしりもしました。安全面から除草剤が使えず、手で数本ずつ抜きましたよ。
<7年間の企画部門では成果を出せなかった>
1980年に始まったイラン・イラク戦争でプラントが爆撃被害を受け、東ソーはイラン撤退を決めました。その前年、30歳の時に東京本社に異動し、海外企業との提携や買収を担当することになりました。
専門誌などを読みあさり、良い相手がいればアプローチするのですが、100社にテレックスを送っても返信してくれるのは1~2社だけで、ほとんど無視です。担当した案件を一つも実現できないまま7年間が過ぎ、最後はとばされるような思いで米国に赴任しました。
<インドネシア事業撤退で悔しい思いをした>
5年間の米国勤務を終えて東京本社に戻り、47才の時、インドネシアで塩ビ生産会社を設立する責任者に選ばれました。共同出資する政府系の財閥企業との交渉をまとめ、間もなく工場完成、というところでアジア通貨危機に見舞われました。インドネシア経済も大混乱し、大赤字となった塩ビ事業も撤退せざるを得なくなったのです。
撤退交渉では、違約金の支払いを求める相手側とどなりあい、結局、出資した約5億円分の株式はたった1ドルで相手に引き渡すことになりました。契約の席で、相手の弁護士から「1ドル札がほしいのか」と冗談を言われ、頭にカーッと血が上がったのですが、受け取りました。その1ドル札は思い出の品として、今でも社長室に保管してあります。
日本人は特殊
入社して40年以上の多くを海外関係の部署や海外駐在で過ごし、自分の仕事が終わったら仲間を手伝うなど、日本では当たり前のことが海外では当たり前ではないことを学びました。同時に、日本人が特殊なのだと思うようにもなりました。
若手社員を積極邸に海外に出しているのも、そういうことを身をもってわかってほしいからです。もっとも、失敗ばかりした人間が社長になっていいのか、と思いますけどね。
東ソー社長 宇田川憲一63
1949年、東京都生まれ。72年東工大工卒、東洋曹達工業(東ソー)入札。2009年6月から社長。英米のサスペンス発散法は、汗をかくほどの散歩。
こんな会社
1935年設立の総合化学メーカー。塩ビなどの化学品やセメントから、リチウムイオン電池の素材の一部まで、事業分野は幅広い。本社は東京都港区。2012年3月期の連結売上高は6871億円、従業員は約1万1000人
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