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報道年月日 |
2015/02/20 |
報道機関名 |
山口新聞 |
会員名 |
アボンコーポレーション㈱ |
タイトル |
防府の鋳物の歴史② |
報道記録の内容 |
昨年暮れ、祖母に1枚の写真を見せてもらった。その写真は所々傷やシミが付いてはいたが、私にとってはとても興味深いものが写っていた。そこには丈の短い日本のきものを着た50名くらいの男たちが建物の前に並び、藁で包まれた木炭や甑炉(こしきろ)という昔の溶解炉を囲むように立っていた。祖母に聞くと、明治時代後期のもので、防府市の鋳物師町に工場があったころの写真だと言っていた。その1枚から当時の鋳物屋の状況がよく見て取れた。
防府市には鋳物師町という地名が今も残っており、ここには鎌倉時代から江戸時代にかけて鋳物師たちが集住していたという。当時の鋳物師は今で言う役人のような職が与えられ、山口県では大内氏や毛利氏に仕え、梵鐘(ぼんしょう)や灯籠など国家の重要な器物を鋳造していた。その中でも特に優れた技術を持つ鋳物師には藤原の名が与えられ、宮廷に出入りを許されていたという。ちなみに私の先祖も松村彦右衛門藤原信房という名を与えられ、中国・四国地方の神社仏閣の灯籠や梵鐘に名を刻んでいる。
私も防府市鋳物師町という地名の由来を伝えると共に、この地に残る鋳造技術を継承する鋳物師として、これからの世の中に貢献する鋳物製品を開発し、山口県から発信していきたいと思う。
(防府市、アボンコーポレーション代表取締役 松村 憲吾) |
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